価値は自分で決める
うぅ、寒い・・・。こんな日は味噌ラーメンが無性に食べたくなります。帰り道のスーパーで買った麺とスープに、野菜を刻んで乗せれば出来上がり。いつもの、大ぶりのお椀に盛り付けます。ラーメン以外の麺ものはもちろん、具沢山みそ汁でも丼飯でも、何でも受け止めてくれる“この“器の大きい器”と出会ったのは、一人暮らしを始めたばかりの頃でした。
最初に住んだ街は、名物商店街がある東京の下町。いろんなお店が軒を連ねていて、眺め歩くだけでも良い気分転換になったものです。
ある日、いつものようにぶらぶらと商店街を歩いていると、食器を売るお店の前で大ぶりのお椀を見つけました。マグカップでみそ汁を飲む生活から、そろそろ卒業したいと思っていた頃で、
「これはいいよ。もうこんな地の厚いお椀は手に入らなくなる。柔らかいスポンジで洗ってあげれば長持ちするから買っておきな。」
お店の人にそう声を掛けられよく見れば、どんぶりとしても汁椀としてもちょうど良さそう。1つ400円ならためらう金額でもなく、その場で2つ購入しました。
あれから幾年月、ずっと手放すことなく使い続けてきた結果、1つは塗りは剥げ、だいぶみすぼらしくなってきてしまいました。けれど捨てるにはあまりにも忍びない。これって塗り替えられるのかな・・・。
何とか方法は無いものか、と探したところ、日本橋に漆の塗り替えをしてくれるお店があることがわかりました。
淡い期待を抱きお店を尋ねると
「塗り直しはできなくはないけど、これは木の粉を集めて作った器で基本は使い捨て。塗り替えは高くつくから、気の済むまで使って処分したら?」
重ねてお願いすれば請け負ってくれたかもしれませんが、高級品でなくとも気に入っていて、ずっと使い続けたいという思いを汲んでもらえないのなら、この店に依頼する必要はありません。
それでもどうしてもあきらめきれず、どのくらい探したでしょう。
「自社で販売した製品でなくても、塗り直しできるものなら何でも承ります。」
と謳っているお店を見つけた時は、体に電流が走りました。
ここならきっと直してくれる!このお店に断られたら、その時はきっぱりあきらめよう。早速、今までのいきさつと器の写真をお店にメールしたところ、塗り直しできます、とお返事をいただきました。この時の喜びは言葉にし尽くせないものがあります。
わが子を送り出すような気持ちでお店に発送し、待つこと1か月半。マットな地肌に塗り替えられたお椀は、しばらく見ないうちに大人になって・・・といいたくなるような上品さが備わっていました。
確かに塗り替えは、質の良い塗り物のお椀が一つ買えるくらいの料金がかかりました。けれど私には、どんな高級品よりも価値があるお椀なのです。価格が安いとか高いとかは全く関係ない。価値は自分で決める。それはささやかな私の矜持かもしれません。