読書記録~0メートルの旅

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旅と言うのが、生活圏から離れた場所へ行く事と定義するなら、「0メートルの旅」は旅にあらず、と言うことになるかもしれません。

この実に不思議なタイトルの本は、調べてみると普通の会社員兼大人気の旅ブロガーが自身の経験をまとめたものだそう。タイトルもさることながら「日常を引き剥がす16の物語」とある副題にも何か大きな意味を含んでいそうで、大変興味をそそられます。

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自宅を起点とし、最初は遠く離れた南極、そこからアジア~自宅のある街へと旅の舞台は移り、最後は部屋でエアロバイクをこぎ続ける旅で締めくくられる16の物語。そのすべてが「これは作者が憧れる旅のスタイルを想像したフィクションです」と言われた方が納得がいくくらい、奇想天外な体験ばかりなのです。私も個人手配で外国に一人旅を何度か経験しているだけに、うらやましいやら、こんな目には会いたくないと思うやら。

旅先が自宅に近づくにつれ、当然のことながら移動距離は短くなる。そうなると魅力はなくなるのか、旅とはそもそも何か、と言った命題に作者は近づいていきます。

いつものパジャマも裏返しになると、まるで別の服を着ているように見える。そんな小さな発見が、一日のハイライトになる。

美しい景色を見に行ったり、美味しいものを食べに行ったり、そういうものだけが旅ではない。旅とは消費するだけでなく、ときには創りあげる行為である。

中略

想像力を膨らませること、些細な巡り合いに興味を持つこと。そういうことを繰り返していれば、近所にだって旅は創れる。

新鮮な驚きに出会えること、新しい物語に巡り合うことが旅の魅力ではないかと考えながら、部屋の中でエアロバイクを漕ぐだけの、バーチャルな日本列島縦断の旅に出る。それが終わった時、確信をもってたどり着いた旅の正体に、私は大いに共感をしています。

この本はちょっと悲惨とも思える出来事ですら一緒に体験してみたいと思わせてしまう文章力の高さが魅力の一つですが、「近所編」で見せる、どこか狂気をはらんだ粘り強さもまた魅力でしょう。びっくりするような、あんな体験もこんな体験もどうやら性格のなせる業と言えそうです。だったら私には無理ね。ホッとするやら、残念なやら。

 

サバイバルは突然に

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確かに数日前から調子が悪かったのです。ついたり、つかなかったり。そしてそれは突然やってきました、それも一番なってほしくないタイミングで。

シングルレバーの蛇口をお湯側に切り替えても温かい水が出てこない。そんな現象が数日前から起きていました。土曜日の朝、髪を洗い終え体を洗う間、シャワーを止めるかどうか迷いました。止めたら最後、お湯が出なくなるかもしれない。普通ならその危険を冒かすことはしないでしょう。まだ水は冷たく、荒行でもない限り浴びることはしたくありません。でもここが私の悪いところ、と言うかアホなところ。止めたらどうなるか、吉と出るか凶と出るか、興味を抑えられず止めたのです。

えぇ、予想通りお湯は出ません。祈る気持ちで何度スイッチを入れなおしても、勢いよく蛇口をひねっても出るのは冷たい水ばかり。修理なり交換なりしてもらえるだろうけど、泡だらけのまま、はた、と立ち止まりました。すぐに交換してもらえる・・・のか?

世は空前の半導体不足。それによって生活に必要な家電すら手に入りにくくなっているとさんざん報道されているではありませんか。社内にも給湯器が故障して手に入らず、もう1か月近く銭湯通いをしている人がいます。私もしばらくはサバイバル生活だな、と覚悟を決め、体を拭くウェットタオル、水のいらないシャンプーを購入したのです。

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月曜日、管理会社から頼まれたという業者から連絡が入りました。

「交換に伺います。都合の良い日を教えてください。」

「最短でいつになりますか?」

「明日の午前中から可能です。」

へ?ホント?!そんなに早く?!

半信半疑でしたが無事交換してもらうことができ、突然のサバイバルはわずか2日で終わったのでした。今回は幸運にもすぐに不便が解消されましたが、3・11を前に防災について考える機会を持てたのは、良いことだったと思います。

購入した、体を拭くウェットタオルは全身を清めるには小さく、ボディタオルくらいの大きさが無いと拭きづらいと知りました。水のいらないジャンプーは、手袋型の方が楽だし、頭皮の汚れを拭きとりやすいでしょう。実際使ってみてわかったことでした。食料はみんなと分け合うことができますが、自分の健康や安全は自分で守るしかありません。身を清めて衛生状態を良好に保つことは、災難を乗り切るチカラの源になる気がします。あれから11年、日常がつつがなく過ごせることに感謝し、備えを見直してみたいと思います。

 

冬のカケラ

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ふぅ、やれやれ・・・仕事から帰ってきて、腰を落ち着ける前に洗濯物を取り込もうとベランダに出ると、明るい一つ星が見えた。誘われるように少し身を乗り出して夜空を眺めると、3つ並んだ星が見える。その星々を中心に4つの星が四角形を描く。あれって・・・オリオン座?洗濯物を急いで取り込み、ネットで検索すると、間違いなくオリオン座だ。冬の夜空に輝く代表的な星座だと書かれていた。

うわぁ。こんなにきれいに星座が見られるなんて。

ひときわ輝く星々を結んだ「冬の大三角」も確認できる。はるか昔に名付けられた星座が、悠久の時を経てもなあ、天空で輝きを放っている。今見ているこの光は、何年かけて地球に届いているのだろう。気の遠くなるような時間と宇宙の壮大さに眩暈がしそうだ。寒さも忘れ、夜空に描かれる星の世界にしばし眺め入ってしまった。

次の日の朝。

珈琲を入れようとキッチンカウンターの前に立つと、カーテンのすき間から三日月が見えた。いつもより黄色く見えるそれは、決して派手ではないのに目が離せなくなる妖しさと鋭さがある。こんな刀があったらきっと妖刀と呼ばれたに違いない、などど考えながらドリッパーにセットした珈琲にお湯を注ぐ。真冬の時期はあんなに真っ白だった湯気が日増しにその色を無くしていくさまに、春が一歩一歩確実に近づいていることを感じる。季節の移り変わりを教えてくれるのは、いつもこんな何気ない日常の一コマだ。

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部屋の中はいつも満月

太陽だって立春の声を聴いて以来、俄然やる気を出し始め、6時を前にして顔を出す。つい最近まで日の出を待ち遠しく思っていたのがウソのようだ。まもなく小鳥たちの恋の季節となり、朝早くからにぎやかになることを思うと、この静けさを楽しめるのもあとわずかだろう。

気温は15度を超える日が続くでしょう。花粉も飛び始めます。

ニュースは春の到来を告げるけれど、日常の中にはまだ冬のカケラが残っている。そのカケラを拾い集めて、過ぎ去る冬をもう少しだけ感じていたい。

花から学ぶカラーコーディネイト

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週末、コージーコーナーに座ってお茶を飲みながら改めて部屋を眺めてみると、少しずつ、でも着実に我が家の風景が出来上がってきているな、と感じます。一つの問題が解決すると次の問題や“アラ”が見え始めるのがインテリアの面白いところであり、悩ましいところ。配線はぐちゃぐちゃのままだし、キッチンカウンターの背板の白さが、のっぺりとしていて気になります。壁紙を張ろうか、それとも写真を飾ろうか、いやいやグリーンウォールのようにしても面白いかも。いずれにせよ面積が大きい分、綿密に色計画を立てないといけません。そんな時、私の中でスローガンになっている言葉が思い浮かびます。

カラーコーディネイトするときは、花の色(自然の色)を参考に。

こう言っていたのは私にとって心の師匠であり、憧れの人であり、永遠のミューズである津田晴美さん。インテリアプランナーとして活躍しながら、数々のエッセイ本を出版しておられます。情報が乏しかった時代、世界各国のインテリアや人々の暮らしぶりが綴られた津田さんのエッセイを、夢中で読んだ経験があるのは私だけではないでしょう。

エッセイから学んだことはたくさんありますが、カラーコーディネイトの考え方は、旅と自然が大好きな津田さんならではのアプローチ。久しぶりに津田さんの本が読みたくなって借りた一冊に、その一文が出てきました。

カラーコーディネイトをするときに、私はよく花の色を思い浮かべる。一本の花の花びらと花芯、茎と葉、これは実に完璧なバランスで成り立っている。

~「毎日が旅じたく“花の色、果物の色”」より~

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津田さんのイラストは温かさがあってとても好き

例えば津田さんが大好きだというカラーは、白~アイボリー~淡いグリーン~鮮やかなグリーンへとグラデーションがかかり、彩度の高い緑色の葉と続いていきます。花1本からできるだけたくさんの色を抜き出し、バランスを学ぶ。果物や夕暮れの空、鳥の羽も同様に、自然の色の組み合わせは色選びのガイドになると教えてくれています。

セミナーでは、自分が好きな花のカラーパレットを、絵の具を使って作り出す作業をしたと他の著書に書かれていたのを覚えていますが、DESIGN-SEEDSと言うサイトがまさにそれ。時折眺めては、その組み合わせの妙にため息をついています。

肌が生き生きと見える色、食事がおいしく見える色。そうやって日常のこまごまとしたものの色にしょっちゅう気を使い続けることは根気と時間のかかる作業かもしれない。

最初は面倒でもそれを習慣にする。やがて暮らしの色を楽しむことに繋がって、色彩感覚は身についてゆくのだと思う。

~「毎日が旅じたく“毎日の色を楽しむ”」より~

キッチンカウンター裏をどうするかは、原点に立ち返ってもう一度考えてみよう。津田さんの本を読んだら、安易に決めてはいけないと改めて思ったのです。ありがとう、津田さん。やはりあなたは私の永遠のミューズです。

第四のミッション~オーダー家具、到着~

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1月にオーダーしたテーブルと椅子が、思ったより早く到着しました。

お世話になったのは合羽橋に店舗があるS-CUBICさん。合羽橋には食器を買いに何度も訪れていて、そのたび、のぞかせてもらっていましたが、家具を注文するご縁までには至っていませんでした。引っ越しに伴い、テーブルと椅子が必要になった時、真っ先に思い浮かんだのがS-CUBICさんだったのです。

www.s-cubic.net

飲食店向けの家具を扱っておいでですが、この会社のオリジナル商品なら大きさや高さを1台、1脚からオーダーできるとのこと。引っ越して以来、どんな感じにしたいかをずっと考えていたのでイメージはほぼ固まっていましたが、十分に策を練ってからお願いすることにしました。

経験上、座りやすいと思う椅子は、座面の幅は狭くても奥行きが深いもの。休日の昼下がり、その椅子に座って本を読んだり手帳を書いたりする時間を楽しむのだろうから、長時間座っていても疲れない、適度なクッション性のある座面がいいはず。合わせるテーブルは一本足のカフェタイプ。カジュアル感が出るんじゃないかしら。この部屋全体のテーマである“森の中の一軒家”に似あう、木を伐り出して作ったようなテーブルと、体全体を包み込んでくれる包容力のある椅子を買おう。

明確にイメージを固めてから伺ったはずなのに、いざとなると迷う迷う(笑)人間とは勝手なもので、あるモノから選べ、と言われると不満を持ち、自由に決めて良いとなると不安を持つ。オーダーするというのは自分の決断に責任を持つことでもあるのだとつくづく思いました。

最終的に選んだテーブルはアッシュというのでしょうか、老木の木肌を思わせるな色。イメージに近い突板の天板が無く化粧合板にしましたが、最近は本物と見まごうほど精密にできています。椅子の張地は、光の加減によって若草にも深い森に生える苔の色にも見える緑色のツイード。使い続けて擦れてきたとしてもそれもまた味わいに代わってくれるでしょう。足は深めの茶色にして、葉の生い茂る木をイメージしてみました。

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うん、いい感じ。さっそく椅子に座ってみます。小柄な私に合う高さにしてもらったので、足がプラプラと宙に浮くことがなく、座っていてとても楽。オーダー時、天板のサンプルが無く、カタログのみで判断しなければならなかったので一抹の不安があったテーブルも、ざらりとした手触りが感じられそうな木目のきれいなプリントに一安心です。

先週買った椿の枝を置いてみると、あら、いいじゃない。このテーブルにはかわいらしい花よりも。枝ものか、日本の野に咲く花が似合いそうです。

さぁ、これで部屋の背骨はできました。お次のミッションは窓まわり。日当たりや採光が良いのはありがたいのだけれど、太陽の角度によって直射日光が差し込んでくるのです。夏が来るまでには完了させなければ。

読書記録~世間とズレちゃうのはしょうがない

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“世間”なるものは、いったいどんな形をしているのでしょう。ひと昔前はそれらしき人生のモデルがありました。良い大学に入って一流会社に入り、定年まで勤めあげる。大多数の人が疑うことの無かった幸せの王道を、なんとなく自分は歩めそうにないと気づいていた養老孟司さんと伊集院光さん。お二人の対談を通して、ズレているからこそ見える形なき“世間”の形があらわになってきます。

子供のころ、突出して体が大きいことで疎外感を感じていた伊集院さん。仲間から排除されないように、まわりに合わせて合わせて、世間からのずれを少しでも少なくしようとしていたそうです。かたや養老先生は、世間と自分がそもそもズレていて、合わせようがない、と自覚して人生を歩んでこられた。対極にいるように見えるお二人ですが、共通項は「世間からズレてはいても離れていない」こと。それが個性とも強みともなり、結果、世間から求められ活躍なさっていることは周知のとおりです。

昔なら「ドロップアウト」と言われた「ズレた」人生を歩いている人の方が、燦然と輝くオンリーワンになれるのかもしれません。日本の社会に馴染めなかった真鍋叔郎さん、主流から外れた道を歩んでおられた山中伸弥さんはノーベル賞受賞という偉業を成し遂げているし、身近な例だと人気Youtuberに、世間に馴染めず引きこもった時期があったり、一般社会に違和感を感じた過去が少なからずあるのは、偶然ではないように感じます。

お二人の対談は科学のこと、AIのこと、人間の意識について、ヒトとはなにか、多様性をめぐる考察など多岐にわたって繰り広げられます。漠然と疑問に思っていたことが明快になったり、大きな気づきがあったり、はたまた新たな迷宮に入り込んだりと、読む人が世間というものをどう見ているかで、この本の印象は大きく変わるでしょう。旧体制の中で社会人人生を歩んできた平凡ど真ん中の私には、面白い視点がたくさんあって、一気に読むことができました。

一方で、すでに世間とつかず離れず、自分らしい生き方、働き方をするのが当たり前になりつつあるる若い世代は、この本をどう読むのかしら、と興味もわきます。世間というものを中心に生きているからこそ「ズレ」感を感じるわけで、それは昔のモデルケースをいまだ引きずっている世代だけの感覚なのかもしれないとも思うのです。ある意味、自分の指針になる本かもしれませんね。

 

 

おしゃべりな部屋

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ずいぶん昔、毎週楽しみにしていた番組がありました。部屋に置かれている道具や本から、その部屋のあるじの職業を推理するという変わった視点のクイズ番組で、今でも再放送をしてほしいと思っているくらい、大好きでした。

中でも鷹匠の部屋と、遊園地の遊具デザイナーが構えるオフィスは、今でもはっきり覚えています。森の中にある鷹匠の部屋には、丁寧に手入れされ、使い込まれた道具たちが相棒であるタカとの暮らしぶりを象徴していましたし、遊園地が一望できる遊具デザイナーのオフィスには、壁一面に工学に関する本が並び、デスクの上には観覧車などのミニチュアが置かれていました。

この2つの部屋に限らず、クイズに出された部屋に中にあるものは、ペン1本ですら、そこで暮らす人の意思が感じられるものばかり。一見、無駄に見えるようなものであっても必要だからこそ部屋に招かれ、あいまいな気持ちで選んだものや不要なものは、必然的に淘汰されていっただろうと想像されます。

番組名をすっかり忘れていましたがネット検索をすれば、何でもわかるものですね、1999年に放送されていた「誰もいない部屋」だそう。20年以上も前なのに、鷹匠の部屋も遊具デザイナーのオフィスも、ありありとその様子を思い出すことができます。それは置かれたモノたちが、“部屋のあるじ”の姿を雄弁に語りだす「おしゃべりな部屋」だったからでしょう。なんとも魅惑的ではありませんか。

自分の部屋を見回しても、部屋の中にあるものはすべて、“わたし”というフィルターを通して選ばれています。フォルムが、素材か、色が好きだから、イメージに合っていたから。理由はどうあれ、選ばれた一つ一つのモノが重なり合い、なじみあい、時に淘汰され、手元に残ったモノたちと一緒に生活をしていくことで私の部屋の風景が出来上がる。インテリアが「内面」という意味を持つことを考えれば、暮らす部屋はその人そのものなのかもしれません。あるじがおらずとも、暮らし手の残り香を感じるような、おしゃべり上手な部屋になるように、整えていけたらなと思っています。